言葉という料理

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Youtubeで活躍する料理研究家リュウジさんのインタビュー記事が面白かった。趣旨としては「料理とはそもそも素材の味を調理や調味料で変えるもので、そんなに素材素材って言うなら生で食べればいいじゃないか」のような内容だった。

確かに「素材の味を引き出す」とか「素材の味を大事にする」といいつつも、その料理にとって都合の悪い部分を削ぎ落としていることになる。玉ねぎや人参、トマトなど、生のままサラダとして食べることもあるが、カレーの材料として考えればエグみや青臭さがきつく生では美味しくはない。だから玉ねぎは茶色くなるまで炒めるわけで、何なら人参もトマトもしっかりと青臭さが匂いが抜けるまで炒めるとびっくりするくらい美味いカレーができる。

言葉も「概念」という頭に浮かんだ素材を、調理人たる発言者が語彙と語順の選択で、言わば「調理」して」言葉」として仕上げている。

食材をきちんと調理せずに半煮えで出すと不味くて食べられないように、言葉も頭に思い浮かんだまま言葉にすると相手につ飲み込んでもらえなくなる。が、実のところ感情に任せて思ったことをそのまま口に出してしまう人は多い。

「バカじゃないの?」「やる気あんのか」「どんくさいな」「その少ない脳みそでよく考えてみろ」

言葉も表現も選ばれずに脊髄反射で出てきた言葉は嫌悪感を呼び起こすことには効果は絶大で、拒絶されこそすれ相手の心に浸透しない。これでやる気が出たり前向きになるのは相当のマゾだ。

言葉に気を使わないのはまずい料理を出すことと同じで、家族や部活のような閉鎖的な人間関係の場合には往々にしてこれが許されてしまう。もちろん家庭内というのはパンツ一丁でウロウロしててもOKな場所だからそれでも構わないのかもしれないが、職場や公共の場で相手が飲み込めないようなクソ不味い料理の如く未調理の言葉を出してしまう人のなんと多いことか。これがパワハラ、モラハラ、セクハラの原因となる。

真心がこもっていれば料理は不味くてもいい、なんてことはないのと同様、言葉も誠意があれば(あるいは悪意が無ければ)未調理でそのまま出していいなんてことはない。

料理も気持ちも、感情にほとばしって勢いのまま・生のままではなくきちんと料理して出したいものだ。

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