自由の不自由

テクダイヤでは服装、髪型自由としている。新卒新人にはこれが難しいらしい。そりゃそうだろう。

いくら自由といわれても短パンにランニングシャツと下駄履きの山下清ルックで朝の山手線に乗って通勤する会社員は居ない。パジャマのまま会社に来る勇者も居ない※。

しかしこの服装自由で困るという考えの原因は、自由とは何でもありだと勘違いしていることにある。いやいや、自由にはルールが必要なのだ。

音楽でいい響きを奏でるには音の重ね方のルールがある。デタラメに音を重ねると不協和音になり気持ちのいい音は奏でない。カラーコーディネートも同系色・反対色などルールがあり、ルールを無視すれば違和感になる。料理にはふさわしいスパイスや調味料、食材の組み合わせがあり、それを守らなければどんなに良い素材でも不味い料理にもなり得る。

法則やルールを無視し、無秩序に組み合わせると出来上がるのは混沌や下品さであり、周囲に違和感を振りまき、不快感を呼び起こす。

新卒新人の誰もが出来る最初の大きな役目であり、そしてやらなくてはいけないものに「他人に安心感を与える」がある。

新しい人が来た、一緒にやってくれる後輩が入ってくれたなど、特に2年目社員はホッと胸をなでおろしているに違いない。そういった期待をかけてくれる相手に対し、いかつい格好や奇抜な服装で他者を威嚇する必要もなければトンチンカンなファッションで居心地の悪さを与えることは、もはや罪である。

こういった「マナー」と呼ばれるルールは決して窮屈なものではない。知らなければどこで地雷を踏むのか分からず、むしろ窮屈で不自由だ。ルールは知れば知るほど、その逸脱方法が見えてくる。守破離の理論だ。

そしてそのルールを踏まえた先の自由には品が備わる。ルールを踏まえないインチキはただの下品さでしかない。

自由と無秩序を履き違えるとイタイことになるのだ。

※そういえば昔、海外に居る学生とWEB面接したときにあらかじめ服装自由と連絡しておいたが、その時間差ゆえなのかあきらかにベッド脇でファンシーでヒラヒラしらパジャマ姿で面接に臨んだ学生が居た。それはもはや死語となったネグリジェと表現してもいい格好だった。画面に最初現れた瞬間、いかがわしいサイトに接続してしまったのかと勘違いしたほどだが、それでも笑いをこらえて最後までちゃんと面接を終えた自分を褒めてあげたい。

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