SARS下での台湾出張

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現在コロナウィルスで渡航が制限されて海外出張がおいそれとは行けない状況だが、その昔SARSが大流行していたときに勇猛果敢に台湾に出張に行ったことを思い出す。

お客さんに納品した装置の立ち上げでトラブル発生。日本政府も中国や台湾への渡航勧告を出してしている最中だが、お客さんは待ってくれない。決死の覚悟でエンジニアと共に台湾に降り立った。

SARSの影響で街中はほとんど人が歩いていない状態。我々もホテルと工場の往復のみで、全く外に出られない。

朝は宿泊先のビジネスホテルで食事。昼はお客さんの工場の中の社員食堂。タダで食べさせてもらって文句言える立場ではないが、非常に油っこく食べ飽きる。毎日微妙におかずの品は変わっているのだが、どれ食べても同じような味に感じてしまう。

夜遅くまでトラブル対応。工場の中でひたすら実験が続く。一日の仕事が終わると帰りがけにお客さんから、お昼の残りを詰めたようなお弁当をもらい、それをホテルに戻って食べて一日が終わる。これが2週間続いた。土日返上で工場へ通う。普段の台湾出張なら土曜や日曜は市中に繰り出して美味しいものを食べるとか買い物にいくこともあるが、SARS流行下だからそういうのは一切無し。

出張の終わり、顧客との最終ミーティングの前日夜に社長が台湾に到着。ひさしぶりのレストランでの食事。しかも日本食だ。張り詰めていた緊張から開放され、油断して焼酎を飲み過ぎた。

次の日、珍しく寝坊。そして朝から全開フルパワーのゲロ。

車に乗ってお客さんの所へいく途中、高速道路にもかかわらず路側帯に停車してまた嘔吐。直前に飲んだサクロンむなしく、口から溢れ出る緑色の滝。

お客さんの所に着くと、非接触体温計で体温チェック。熱があると工場に入れないのだが、みごとに引っかかった。二日酔いになると熱が結構出ることを初めて知った。

風邪を引いているわけではない旨を説明し、特別に工場に入れてもらう。狭い会議室でクロージングミーティングが始まった。トラブルのあとの会議だから担当者が会議室にワンサカと集まり(当時、密を避けるという概念は無かった)、あまり冷房が効かない状態で全員マスク着用。気持ちが悪いからといって例外は許されない。

しこたま吐いた後だからマスクの中でずっとゲロの匂いを嗅いでいるわけで苦しいことこの上ない。15分ごとに退席。周囲は私の事情なんて知らないから、さぞ変な病気にでも罹ったと思っていたに違いない。

台湾はSARSでの教訓を元に感染症対策を万全にしていたため、今回のコロナウィルスに関しては非常に対応が進んでいて被害が少ないのはご存知のとおり。

さて、私が監禁されていた台湾のお客さんは何度も合併や吸収を繰り返し、その後世界最大のLEDメーカーとなった。現在テクダイヤは装置ビジネスから撤退して付き合いは減ったが、その顧客とは非常に良い関係を保っていた。何があっても絶対に逃げず全力で対処する、という姿勢が評価されていたのだと思う。