「ワークライフバランス」という誤解

一般的にワークライフバランスというと、仕事とプライベートの両立を指す。が、そもそもこの「ワークライフバランス」という言葉が妙な誤解を呼んでいるとしか思えない。私はライフを「私生活」と翻訳することに違和感を感じる。

ただでさえインターネットや携帯電話、スマホなどの発達で24時間どこでも仕事ができるような環境で、完全に自分のプライベートの時間から仕事を除外することは難しいのだ。加えて、自分のキャリアに必要な自己啓発の勉強は仕事なのか私生活なのか、それとも趣味なのか区分けが難しい。

私も読書量は少なくない方だとは思うがおそらく読む本の半分は何らかの形で仕事に関わっている。かつて技術系の仕事をしていた時には自分の興味から休日に国立国会図書館や国立大学の図書館に行って論文を探すことは珍しくなかった。今でも人事に関する本はたくさん読む。自分の興味からやっていることだから変にストレスを感じることもないし苦痛でもない。これを仕事と捉えて一般的解釈のワークライフバランスをはめ込れて取り上げられると、それが帰ってストレスになってしまう。

かくのごとく、ワークライフバランスという言葉は多分に仕事と私生活を相対する両極端な概念に置き、仕事をしすぎると損だとか、仕事を充実したプライベートを邪魔する存在だとか考えてしまうような誤解を招いているような気がする。

自分で会社を経営した人、または自宅で会社をやっている人はワークライフバランスは無くてもいいのか?自分の趣味の延長線上で仕事を始めた人のワークライフバランスの考え方はどうしたらよいのか?仕事を搾取する人と搾取される側で考える、資本論が書かれたような19世紀の考え方では現代のワークライフバランスは理解できなくなってしまう。

ワークライフバランスのライフとは「人生」や「生きざま」と捉えるべきだと思う。そしてワーク(仕事)は人生の一部でしかない。だからワークライフバランスではなく、Work in the lifeと考える方べきではなかろうか。

確かに仕事は一日の時間の多くを占める。だからといって自分の人生を仕事だけで埋めるのはナンセンスだ。家族もある、趣味もある、友人もある、地域社会とのつながりもある。自分の人生はそれら多くの要素の中で多くの影響を受けながら勉強、そして成長していき、他者に貢献していく。仕事人間でそれら他の要素を少しも顧みないような人生を送ると、60歳になって定年してから自分の「やりがい」を失い、どこからも必要とされない人間になってしまうだろう。

かといって仕事は生活の多くの時間を占める。学生生活が終わったからといってそこで勉強が終わるわけではない。仕事場は多くを学ぶ場だ。他者との関わり方、集中力、忍耐力、等々、そこで学んだことがまさに「生きていくための力」「人間力」となる。考慮すべきは自分の「人生」であり一時のレジャーではないのだから、時には仕事漬けになる時期も必要かもしれない。

同様に、自分の時間の大半を使う仕事で自己成長を促すべきで、仕事は足掛け・趣味が自分の本当の姿、と「釣りバカ日誌のハマちゃん」さながらに趣味を人生の中心に据えてしまうのは効率が悪い。もちろん趣味そのものを仕事にしてしまうのは除いてだが。

会社は自分を育てる一要素であり、全要素ではない。自分の身を全てを会社に預け、何でも会社に決めてもらおうとする依存的な姿勢では人生は成り立たない。かといって会社に居る自分を仮の姿として偽りの人生を送るのも虚しい。

自分がどう会社と関わっていくのかという問いは、つまり自分がどういう大人になりたいのか、どういう社会人になりたいのかに深く関わっている。