尺度のはなし

今朝、乗っていた京浜東北線で乗降客が線路とホームの間に足を挟んだ、ということで数分遅れが生じた。身体全部がすっぽりと挟まるような事態にでもなると何時ぞやの南浦和駅のように全員降りて車両を押すような大事にもなったかもしれないが、大したことにならなくてよかった。

しかしたった2分遅れるだけで「申し訳ございません」って謝るJRもやり過ぎじゃないか、と思うのだが彼らにしてみると2分は大きな遅れだ。彼らの電車運行は秒単位で行っている。

通常電車の時刻表で8:00出発となっている場合、8:00ちょうど、8時15秒、8時30秒、8時45秒の3種類あり、45秒の猶予がある。これは1/4分ごとの管理では実現不可能で、秒での管理が必要となる。秒単位で物事を考えていれば2分の遅れというのは120秒の遅れだから、大事なのだ。

我々メーカーも物を作る上での管理上の単位というのがある。どれくらいの範囲を合格品とするのか、その許容範囲のことを公差という。公差は製品の単価を決める。当然のことながら精度が厳しくなればなるほど良品率は下がるし、測定装置だって値段が高くなる。

2倍で見える拡大鏡は100円ショップで売っている。10倍のルーペなら1000円以上する。40倍の実体顕微鏡なら20万円、500倍から1000倍の金属顕微鏡なら200万円もするし、5000倍が見える電子顕微鏡ともなると800万円はくだらない。これは長さを測定するノギスとかデジタルゲージなども同様に、対象物が小さいくなればなるほど高価になる。

精度というのは製品の良さや均一性という点で顧客満足を左右する大事な要素ではあるが、同時に製品の価格をも左右してしまうのだからそのバランスが重要だ。

ものづくりにおいて製品に徹底的にこだわるのはいい。しかし必要・不必要を選り分け、価格を下げられるかどうかに経営センスが問われる。

ところが造り手の多くが「自分が購入者の立場だったら」というユーザー目線に立ち過ぎて失敗する。味はいいのに潰れてしまうこだわりの飲食店とか、出だしの評判はやたらいいのに店を畳むガレージメーカーなどはこのパターンだ。

最悪のケースは、精度や品質向上のために社員や顧客を危険に晒すことだ。JR西日本の大事故の原因は、運転の遅れを取り戻そうとしたことだった。こうなると本末転倒だ。

何事にも安全は確保しつつ、コストと精度のバランスをとることが大事である。