エントリーシートを見ていると、
女学生の自己アピールの2割には「真面目」という言葉があるような気がする。
結論から言えば、真面目が評価されるのは学生までで、
社会人になるとそれは「不器用」という言葉に変換され解釈されてしまう。
東京大学と聞くとたいていの人は「勉強しかできない奴」のような先入観がある。
入学するのが滅茶苦茶大変だから、勉強以外に何もできないバランス感覚の悪い人間じゃないのか、
と思うわけだ。(単なる偏見なのだけれども)
東大じゃなくとも「△△△しかできない」というのはマイナス評価だ。
スポーツしかできない。音楽しかできない。漫画しか書けない。歌しか取り柄が無い。
いくらでも挙げられる。
「真面目」「いちず」「一生懸命」。
幼稚園から大学までずっと使われてきたこれら綺麗な言葉は、
学生という限られたエリアの中だけで高評価を受ける、実は全く汎用性のない言葉だ。
もちろん一生懸命さや真面目さは生きる上で大事な要素ではある。
ただし、それさえあれば他は要らないという十分条件ではない。
一生懸命や真面目ってのは精神性の問題だ。
社会人、特に企業人というのは結果が求められるわけだから、一生懸命じゃなくても、
また真面目じゃなくても結果が出れば評価されてしまう。
むしろ真面目にやらずに結果が出せるのだったらその方が効率が良い(笑)。
結果を出せない真面目さと、不真面目でも結果が出せる方と、
どちらが社会人として評価されるのかは言わなくともわかる。
社会人でも真面目さが評価されるとしたら、派遣や契約社員を前提として単純労働だろう。
少なくとも一人あたり採用コストをかなりかける、リクナビやマイナビに採用広告を出す企業にはベクトルが異なる。
ほんとに真面目さが通用するくらいなら大学での成績表で評価すりゃいいんだけど、
成績証明書出せってのはどこの会社も最後の最後。
卒業証書もらう前に求人している時点で学校での真面目さなんて
企業はほとんど気にしちゃいないってのはバレバレだ。
こうして、真面目に学校に休まず出席していた学生は就職活動で苦労し、
学校にまともに来ないような不真面目な学生がいくつも内定をもらうという現象につながっている。