まずいお雑煮

ブログ更新が途絶えたまま、いつの間にか年が明けてしまった。正月になってお雑煮を食べるといつも必ず思い出すのは、料理が全然できない伯父が作ってくれたメチャクチャまずいお雑煮のことだ。

それはまだ私が小学生の頃。伯父夫婦の家は割と近くだったのでよく遊びに行っていた。遊びにいくといっても、行けば何かしらお小遣いくれたり、近くにある信生軒という町中華のラーメンを出前で頼んでくれるから、それ目当てに行っていたようなものだ。それでも伯父と伯母は自分たちの子供たち(つまり私のいとこ)はとうに家を出て夫婦二人っきりだったから、たまに私や兄やらが顔を出すと随分喜んでくれていた。

 

そこで問題のお雑煮の話である。

普段であれば伯母が居て料理を作ってくれるか、さもなければ信生軒のラーメンになるのだが、そのときはたまたま伯母が出かけて伯父しか居なかった。悪いことに正月で町中華の出前も休みで頼めない。そこで伯父が「おう、雑煮でも食うか?」と言って慣れない手付きで作ってくれたわけだ。

 

何が不味いって、ダシが全然効いてないのだ。いや、効いていないなんて生易しいものではなくダシゼロ。お湯に醤油が入っている状態だ。ここにお餅と、雑煮感を醸し出すために連れてこられたネギとニンジンが申し訳無さそうに寄り添っているだけ。当時はまだインスタントの鰹だしも、削り節のパックもそれほど普及していない時代だったから、家庭では煮干しを使うか鰹節を削るか、さもなければ時間をかけて昆布ダシを取るかしかなく、そのどれもが料理が苦手な人にはハードルがかなり高かった。

 

「そら、食え食え」などと言いながら伯父は上機嫌で日本酒をグイグイ飲んでいる。伯父はかなりの酒豪で、普通これだけ酒を飲むなら自分でツマミでも作れそうなものだが、全く料理ができない。ツマミがなくとも空きっ腹でもお構いなしに飲むくらいだったから立派なアル中だ。そもそも酔っ払いすぎて味に無頓着なのかもしれないが、とにかくその雑煮はまずかった。これならいっそ海苔と醤油でシンプルに食べた方が美味いにちがいない。海苔はなくとも大根おろしがあれば辛味餅としてだって美味しく食べられるのに。と考えると、雑煮として何が一番大事なのかといえば、もうそれはダシしかない。ダシさえうまければ、あとは餅だけで雑煮は成立してしまうのだ。そう考えると具なんて割と大雑把になんでもいい。これが欠けると雑煮として成立しない、というものはない。

 

それではここで就活ブログ的に問いたい。大学生が大学生として成立している要素は何か?中学生や高校生と何が違うのか?もっと言えば、同じ22歳の、高卒者の22歳と大卒の22歳とでは何が違うのか。何が違っているべきなのか、何が違っていなければならないのか。もし大学卒の能力として自分に何かが欠けていると感じるのであれば今からでも相当に焦って挽回できるようにしなければならない。社会人になってから「お前それで大学卒なの?」という言葉は最も聞きたくない類の言葉だ。雑煮のフリして全然うまくない雑煮になっていないか、自問するべきだ。

 

さて、伯父はその後、大酒飲みが祟ったのか脳梗塞となり入院し強制的に酒を断つことになり、無事退院した後には完全に酒を飲めなくなってしまった。にもかかわらず、私が酒を飲めるような年齢になってから伯父の元を訪ねても、どういうわけか酒は常備していて「よく来たな。さあ飲め飲め」と酒を進めてくるようになった。それはまるでお腹をすかせた小学生に、せめてお腹だけは満たして帰ってほしいと慣れない手付きで不器用に作ったお雑煮を進める昔の伯父と何ら変わりが無かった。