私が学生時代にやっていたアルバイトの一つが、ホテルの宴会場などの舞台設営の仕事だった。当時はバブルだったこともあるが力仕事だったためか、拘束時間が短い割にバイト代が高い「おいしい」仕事だった。
そのおいしい仕事は大学のサークル(ジャズ研究会)のOBが持ち込んだ仕事のようで、代々サークルで引き継がれていた。先輩は仕事を紹介してくれるが、バイトの空き時間で中古レコード屋めぐりをして散財するという仕組みで、貧乏学生が上手いことジャズを勉強できるメカニズムが出来ていた。
ある時、横浜のとある有名ホテルで待機しているとバイトに来た知らないおっさんが一人居た。人数が足りないためバイト会社がどこから呼んだらしい。
「おっ、君たちバイト君だね。ひょっとしてジャズ研?」
力仕事だからきれいな服装をしているわけはないが、無精髭に加えちょっとオタク感が隠せない。見た目に似合わずおっさんは妙に人懐っこく、気さくに話かけてくる。
「はい、そうです。」
「おー、俺もジャズ研出身なんだよねぇ」
(ってことはOBか。え、OBなのにバイト?んー、あんまり相手しちゃいけないOBなのかな)
「って言っても卒業したのもう10年以上前なんだけどね」
「え、そうなんですか?」(え、そんな前に卒業してフリーターなのかよ!)
一応は大大先輩である。フリーターでもぞんざいな対応はできない。
「何の楽器やってたんですか?」
「ギターなんだけどね」
「へぇ、そうなんですかあ」
と適当にお茶を濁しながら、昔のジャズ研がどんな感じだったのか、知っているOBのプロミュージシャンの話などをしつつ、仕事を終えた。
「またおいしい仕事あったら連絡頂戴ね」
別れ際にもらった名刺にはこう書いてあった。
大友良英
今やNHKの連続テレビ小説『あまちゃん』や大河ドラマ「いだてん」で有名な作曲家ではあるが、当時でもノイズミュージックやフリージャズといった特殊な分野では知られた存在だった。それでも音楽だけでは食っていけず学生と一緒にアルバイトをやっていたのだ。
私には好きなことを追いかける持続力も自分の才能を信じ続ける度胸も無かったが、自分の音楽の才能の無さにだけは気づくだけの分別が有ってよかったと、大友さんをテレビで見かけるたびにしみじみ思う。