就職はゴールでもスタートでもなく中間地点

新年明けましておめでとう。また新しい一年が始まった。

しかし冷静に考えてみれば、節目として暦の上では新年になっても、時間は連続している。「去年」や「昨日」と全く関係の無い、あたらしい「今年」や「今日」が始まるわけではない。

就活的なことを言えば学生と社会人の境目もまた連続している。学生時代に時間にルーズだった人間が社会人になって突然時間に正確になれるわけはない。金遣いが粗い人がいきなり倹約家に変身するのも無理な話だ。(最初の給料が出るまで一瞬、節約を余儀なくされるかもしれないが、給料が出たとたん使ってしまうだろう)結局、学生時代までにどう生きてきたのか、それが社会人のベースとなって毎日を生きていくことになる。

考えてみれば中学生から高校生に変わるときも、高校生から大学生に変わるときだって、ガラリと大きく人格が変わることなんてなかったはずだ。中学生の自分とまったく別の新しい人生が高校から始まってスーパースターになるやつなんか居ない。高校まで地味だった服装が大学になって急に派手になるということはあっても、人格まではそうそう変わらない。

だが就職というと、なにやらいきなり自分の人生がガラリと変わるような錯覚に陥りやすい。今まではこうだったけど、就職を機会に自分の人生を切り替えたい、ああなりたい、こうなりたいと、自分らしさを活かせない無理な就職をする学生は多い。

就職はゴールでもなければスタート地点でもなく、単なる自分の自己実現のための中間地点でしかない。就職したら今までのことがリセットされて自動的に全く新しい人生が始まるなんてことはない。これまでの自分を無視して背伸びしすぎた就職をするとなかなか結果が出せず、自分の無力感に苛まれて、こんなはずじゃなかったと後悔することになる。

切れ目のない時間軸の中で、これまで培ったどんなチカラを応用して社会人として頑張っていくのか、連続した流れの中で就職を捉えることも大切だと思う。