一流の集中、二流の夢中

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私はカラオケが苦手だ。いや、正確に言えばカラオケそのものが苦手なのではなく、音程が外れた歌を聞くのが嫌なのだ。

ひょっとしたら幼い頃から音楽教育を受けていたことに関係しているのかもしれない。絶対音感は無いが相対音感はある。街なかでストリートミュージシャンの奏でるギターのチューニングが合っていないと気分が悪くなるし、ホテルのロビーで流れるピアノの演奏の調律が狂っているのも耐えられない。かなり神経質なのだ。

カラオケというのは普通、素人しかやらない。それにお酒が入っていることが多い。ほとんどの人が酔にまかせて大声を張り上げる。夢中になっていて音程やリズムが外れていてもお構いなし。普通の人には友好のための楽しい場が、私にとっては苦行の場になる。そもそもカラオケというのは自分が気持ちよければイイというもので、他人のためにやるものではない。冷静にカラオケの伴奏に集中し、正確な音程で発声できるのは一流のプロだけで、そういう人にカラオケの場で遭遇する確率は低い。

社会人として働くようになると一日の大半を会社に費やすことになる。よって、仕事の充実が人生の充実に直結する。この論理は間違っていない。だが「だから夢中になれる仕事を探そう」とか「仕事は夢中になってやるべきだ」というのには賛成しない。

夢中だったから相手の耳に噛み付いてもOKというボクシングは存在しないし、夢中だったからコースを間違えていいというマラソンもない。我を忘れて手を使ったらサッカーはサッカーでなくなるし、残り時間を勘違いしていたら一流の柔道家になれない。スポーツにルールがあり、それに則って行わなければいけないように、ビジネスにもコスト、社員の安全衛生、労働法などのルールがある。

無我夢中という言葉通り、夢中になると我を忘れる。そしてその結果、ビジネスルールがないがしろにされる。趣味ならいいだろう。が、仕事でそれは許されない。

学生は部活やサークル、研究室など自己の欲求に身を任せ無我夢中に没頭することが美とされ、その延長で仕事選びをしがちだ。だが、好きだからといってビジネスルール無視で無制限に働き「全部残業代払ってください」は通用しないし、会社側も「お前が勝手に好きでやったんだろ」と賃金の不払いが許されるわけでもない。夢中になって身体を壊しては元も子もないし、仕事に夢中になることを会社に強いられ、結果として健康を損ねるなんてあってはならない。

こう考えると夢中なんてそんなに良いものではない。

テクダイヤには誰が言い出したかWork Hard, Play Hardという言葉がある。遊ぶ、またはプライベートの時間を確保するためにはハードに仕事をして早く切り上げる。そうして作った時間の中で、頭を切り替えて大いに遊び、リフレッシュしてまた仕事に戻る。真剣に働き、真剣に遊ぶ。それらが相互作用で良い影響を生む。貴重な時間をどう使うのか、また貴重なお金どう使うのか、遊びもビジネスも共通項は多い。

大事なのは集中だ。一流の人は広い視点を持ち、状況を冷静に分析・判断し、限られたリソースの中で集中して密度の濃い仕事をこなす。二流は我を忘れて没頭する。

こうして私は今日も自宅へ帰ってから下手くそなピアノの練習に没頭するのだ。