やる気スイッチ

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先日、テレビで歌舞伎の人間国宝、中村吉右衛門が「自分たちの世代はわけも分からずとにかく型を覚えさせられたものだったが、今の若い人たちはきちんと理由をつけて説明してからでないとよく動いてくれない」ということを言っていた。これがいわゆる「ゆとり」問題か。

取引先と打ち合わせの中でも「大学生の学力低下問題」の話題が出たことがあった。実際の所、ゆとり教育の問題はともかく、少子化に伴い学生確保のために大学も推薦入学の枠を増やしたり、勉強しなくとも大学に入れるような仕組みがあるのだからレベルは落ちるのは当然だ。

しかし冷静に考えると、たかだが数十年くらいで人間の本質が大きく変わるわけではない。社会人にもなれば、否が応でもいわゆる「やる気スイッチ」が押されて若い時の遅れを挽回するようになる。本当に年々学力レベルが落ち続けているのなら、50年前に比べて今の日本はグズグズのどうしようもないバカばっかりの社会になっているはずだが、そうではない。若者たちはどこかで気付き挽回しようと努力するから社会は少しづつ便利になり文明は進化する。

私が学生時代に、アメリカでやっていたボランティア活動に参加した時、時代はまだソ連崩壊前。ドイツも西と東に分かれていた時代だった。ボランティアには世界中から若者が集まってくるのだが、旧東側からアメリカにやってくる大学生というのが、超がつくほどのエリート。モスクワ大から来た学生はアメリカに初めて来たと言いつつ流暢な英語を話し、それどころかドイツ人とはドイツ語で、イタリア人とはイタリア語で、そしてフランス人とはフランス語で普通に会話をする、とんでもない女の子だった。他の国から来ている連中もそんなのばっかり。

私といえば当時の典型的な日本のアホ学生。ほとんど学校には行かずアルバイトと音楽に明け暮れるお馬鹿な若者だから、ヨーロッパ各地から集まった若者たちが政治や歴史、互いの文化などを英語でディスカッションするのに、こっちは英語もたどたどしいだけでなく、そもそも話題についていけない。日本語でその話題で話をしろと言われてもできないのだから、語学レベルの問題ではない。英語が出来たとしても所詮はアメリカの小学生程度にしか成れないのか、と大いなるショックを受けた。この事が一つのやる気スイッチになった。

私が学生に「早いうちに海外に行け」「貧乏な国に行け」と行っているのは、やる気スイッチを入れるためだ。自分の立ち位置を見つめなおすような経験ができるところに行くことが大事。ハワイなんぞに行っても「また来たいな」「日本は嫌だな」と現実逃避になるだけで、現実を見つめることにはならない。

本来、大学生時代というのはその時間的猶予をつかって自分を見つめなおすためのもの、と思っていたのだが、最近は妙に「真面目に大学行ってます」という学生が多いような気がする。少子化で学生確保に躍起になるあまり、大学側が授業を真面目にやろうとした結果なのだろうか。放っておいても学生が集った私の時代は出席すら取らないような授業が多かったが、学生には逆にそれが良かったのかもしれない。

実は真面目に学校に通っている人ほど就活に困っているのではと思う。アピールが弱いのだ。こんな事を書くと大学からは怒られそうだが、そもそも企業は大学そのものに期待をかけていないのが本音だろう。

大学で期待されているのは国際教養大とか立命館アジア太平洋大学とか、ほんとに一部の特殊な例だと思う。本当に大学卒業に信頼度がおけるなら企業は入社試験なんてやる必要が無いはずだが、実際は言語テストやら計数テストやらと煩わしいこと事欠かない。

大学に「自分を伸ばしてくれる」なんていう期待をしてはいけない。自分を伸ばすかどうかは自分次第。待っていて誰かがスイッチを押してくることはないのだ。