StupidとInnocent

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先週、台湾に旅行したときの出来事。
旅行最終日、空港に向かうまでちょっと時間があるのでホテルの近くの美術館(台湾当代美術館)に行くことにした。そこでは香港の作家による作品の展示会が行われていた。なにしろ現代芸術だから難解なものが多い。

その中でとある作品が展示されている部屋に入ったら、つかつかと説明員が寄ってきた。年の頃なら大学生くらいの女性。いきなり中国語で解説を始めるがこっちは全然理解しない。「Sorry, I don’t speak Chinese. 」と言うと彼女はすぐに流暢な英語に切り替えて説明を始めた。おそらくこの展示会のために香港からやってきてた学生なのだろう。私も仕事で長く台湾や香港と関わっているが、ここまで英語が上手いのは十中八九香港人の可能性が高い。

香港はあの狭い国土で、しかも少ない人口でありながら優秀な人が多い。シンガポールも同様だ。もちろん全員が全員というわけではないが、確率からするとかなりハイレベル。国の豊かさと教育レベルは比例する。

一方その台湾旅行でこんな出来事もあった。スーパーに入って飲み物を買うためにレジに並んだ時のこと。明らかにフィリピン人と思われる女の子が私が並んでいる前に堂々と横入り。全く悪びれる様子もない。かつて20年近く前にセブの空港の入管の大行列で横入りしたフィリピン人をヨーロッパからの観光客が英語でたしなめていたのを思い出す。

台湾の地下鉄もいつの頃からかきちんと列をつくるようになった。これも20年ほど前にはもっとぐちゃぐちゃで混沌としていた記憶がある。しかし北京の地下鉄は今でも列も秩序も無い。ラッシュでは乗り込むのも下りるのも大変だ。

国が豊かになると教育レベルもあがり、国民のモラルも上がる。日本だって私が子供の頃は立ち小便や道に唾だの痰だのを吐くのは全く珍しくなかった。JRのホームから線路に向かって子供を抱えておしっこさせる大人はそれほどめずらしいことではなかった。中学の英語の教科書にはイギリス人の風習を紹介するページに、列を作るという「que」なんて単語が紹介されて「イギリス人はバス停でもどこでもきちんと列をつくります」という習慣が教材のネタになっていた。そんなことが面白い話として紹介されるくらいなのだから、当時の日本人には列をつくる習慣なんか無かったことがわかる。その日本も今ではラーメン屋でも電車でも列をきちんとつくっている。

いや、だからといってフィリピン人は国が貧しいからマナーが悪く、直しようが無いと言っているのではない。かつてフィリピンの工場で”You are so stupid!”と私に怒られたワーカーが言った言葉がある。それが「We are not stupid, we are just innocent」だ。Innocentも悪く捉えれば「馬鹿」であるし、「純真」とも訳す事もできる。私はInnocentと聞くと「知識が与えられていない状態」と考える。

国によって頭がいいとか悪いとかはない。そんなことをまともに言う人間は人種差別者だ。そうではなく、できないのは教育やマナーを教わっていないから、と考え根気よく習慣づけられるまで教える。その根気と忍耐力と持続力が無ければ発展途上国のオペレーションは、単に人を定期的に入れ替えるだけの習熟度の上がらない工場になるしかない。殊に発展途上国ではまともな図書館も無い、学校も予算不足できちんとした教育が与えられていないのだ。中には結構なポテンシャルを持っていて磨けば光る人材は居る。

やれば出来る。やらせれば出来る。しかし手間はかかる。その手間を惜しまず取り組んだ者だけがコストの安さを享受できる。楽をして海外工場の運営はできない。