J君はかつてテクダイヤで働いていた社員。
私も含めテクダイヤには台湾好きの社員は多いが、その源流をたどれば台湾出身である彼に突き当たる。
彼の入社はテクダイヤが台湾事務所を作る前のこと。
東京の本社で1年ほど勤務したのちフィリピン工場へ赴任。
その後、台湾に事務所を設立することになり台湾赴任となった。
(その後、残念ながら奥さんの実家の仕事を継ぐことになりテクダイヤを退職している)
日本の大学を卒業していて日本語も上手かったが、イギリスの大学院で勉強していたので英語も当然OK。
私はフィリピンで半年ほど彼と一緒に仕事をしている。その時にいろいろと台湾の話を聞かされた。
私はそれまで台湾に関してほとんど知識が無かったのだが、彼の語る台湾はびっくりすることばかりだった。
台湾人の親日ぶりは今でこそ有名な話だが、当時は漫画家小林よしのりの「台湾論」の出版される前。
その当時日本人にとって台湾といえばテレサ・テンか欧陽菲菲、または時々日本のプロ野球に入団する台湾人選手くらいで、世間的にもよく知られていないような状況だった。
なので、彼の語る台湾の親日ぶりは日本人に対するリップサービスなのではないかと思うようなことばかりで、ホントかいな?という話が多々あったのだ。
それが事実だと分かったのは後に仕事で台湾を訪れるようになってからのことだ。
J君はすこぶる頭が良く、仕事も早い。しかしそれは彼が非常にセッカチということも関係している。
仕事で一緒に台北に行ったときのこと。
台湾中部の台中出身の彼は、台北の道はちっとも詳しくない。
カーナビも無い時代であるのは仕方ないにしろ、当時台湾で入手できる台北の道路地図がけっこう怪しくあてにならない。
だから、彼は自動車を運転しつつ道に迷うと路肩に車を停め通行人に道を聞く。
「300メートル走って3つめの信号を右ですね、分かりましたっ!」
勢いの良い返事とともに車を走らせるのだが、この300メートルが彼には待てない。
教えられた300m先の交差点ではなく、一つ目の信号で右に曲がってしまう。
そして道に迷う。また通行人に道を尋ねる。
・・・
この繰り返し(笑)。せっかちにも限度がある。
彼の生まれ故郷である台中へ出張で行った時には「会社の先輩をホテルに置き去りにしたら両親に怒られます」ということで、材木商をやっているという彼の実家に泊めてもらった。
料理の上手な彼のお母さんの料理をさかなに、酒豪のお父さんと大変な盛り上がりで、結局男3人で紹興酒を3本開けてしまった。
テクダイヤが彼を採用したのは貿易担当としてだった。
中国語を使うためでもなく台湾の顧客対応でもなんでもない。
台湾事務所を作ることになるとは彼の入社当時は想像もしていなかった。
しかし彼のような優秀な人材を採用すれば、どこにでも当てはめることができる。
本当にポテンシャルのある人間はどこにでも通用する。
それが台湾でもフィリピンでも、また日本であってもだ。
台湾だから台湾人、中国だから中国人という雇い方をしていると、状況変化に対応出来なくなってしまう。
どこでも通用する人間、それが理想のTecdianなのだ。