昭和な感覚

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すでにアニメ版の鬼滅の刃は見ていたものの、先日趣味の電気工作のBGMにとテレビをかけっぱにしてセリフを聞き流していたのだが、改めて見てみると違和感がぬぐえない。

「男として」「男だから」とやたらと男を強調しすぎ。おまけに「長男だから頑張れた」はひどい。女は頑張れないんか?次男や一人っ子は駄目なのか?ポリコレの概念が無い昭和ならまだしも、平成超えて令和の時代にこれは無いだろう。

こういう古い観念は一般世間にもまだまだ強く存在していて、なぜか結婚してないと一人前じゃないとか、子供が居ないとしっかりしないとか、昭和の親戚のおじさんやおばさんみたいな人は少なくない。この理論からすると、子沢山の大家族で介護の必要な親が居て病弱な奥さんが居てマイホーム買って自動車買って借金抱えて男じゃないとまともな仕事が出来ないってことになるのだが、まったく論理的ではない。

逆パターンに裕福なやつは必ず甘やかされて育ってるっていうのがあって、最近良く見る韓流ドラマには必ずそういう設定が出てくるが、これも偏見にしか過ぎない。

男の子だからしっかりしてほしい、長男だから年下の兄弟の手本になってほしい、子供が居るんだから頑張ってほしい、借金返さなきゃいけないから真面目に仕事して欲しい。どれも周囲、もしくは本人の願望だ。韓流ドラマの金持ちの息子の性格が悪いってのも、これも社会構造が生んだ庶民のルサンチマンであり、「全部恵まれてるなんてゆるされない、せめて性格くらい悪くなきゃやってられない」という僻みだろう。(ちなみに私は江南区狎鴎亭の現代アパートに住んでいた友人が居るが、全然金持ちぶらないめっちゃイイやつだ)

もし面接官に「君は男だから頑張ってくれるよね」とか「君は末っ子だから甘やかされて育ったんだね」なんて言うアホが居たらその会社を受けるのはやめた方がいい。この昭和感覚を平然と言ってのけてしまう社員が学生とのフロントラインに居る会社は相当痛い会社だ。

さて、鬼滅の刃の良い点も挙げておくと、最近のアニメらしく主人公一人だけが圧倒的に強いのではなく必ずチームとして敵を倒すところ、そして敵である鬼に対しても憐れみの心を持つ点と、CGの美しさだろうか。非常に歌舞伎的な筋立てだと思っていたが、実際に歌舞伎として上映する計画が一年前からあるそうだ。是非見てみたいと思う。