私が中途採用としてテクダイヤに入社したときの面接で一番ウケが良かったのは、現在仕事では全く役に立っていない楽器演奏だったという話は以前に書いた。が、それ以外にも(1)英語が話せた(2)貿易の仕事をやっていた(3)ダイヤモンドの鑑定が出来た(4)オーディオ好きだった、という点も気に入られたのだと思う。
まさに「波長が合った」面接は2時間以上に及んだ。しかしこの波長ってなんだろう。
人は血液型が同じだからといって波長が合うとは思わないし、星座が同じだからといって波長が合うとも言わない。波長が合うという言葉は、それが本人の望む/望まざるに関わらず努力や苦労という経験に基づいて使われる言葉だ。
「お酒嫌いなんだあ。飲み会とかに呼ばえると嫌だよねぇ」とか「日産シルビアずっと乗ってるの?俺も80年代の中古車好きなんだよ」みたいなライトなものから「お母さん早くに亡くしたんだ。それは大変だったね。」「私もその持病抱えてるんだ」みたいなシリアスなものまで、数限りない。
そういった各人が持ついろんな経験値に対して共感、または共鳴することがまさに「波長が合う」であり、そこに共感できない、共鳴できない・しないことが「波長が合わない」ということになる。
共鳴力が低いことは生きていく上でかなりハンデを負う。人と関わって生きていく上で共鳴力は他人と近づくための初歩的かつ重要な手段だからだ。「共鳴できない」「共鳴されない」と人が近づいてこない。
別の言い方では「思いやり」と表現してもいいかもしれない。相手と同じような経験をしていれば、その人がどんな生き方をしてきたのか想像がつきやすい。その想像力が「おもいやる」ことであり、相手を「いたわる」ことの源泉となる。
波長というくらいだから、自分の中に何らかの「波」がなければいけない。なんの知識も経験も無ければ、それはまさに波のないフラットな状態だ。それでは波長の合わせようが無い。いろんな周波数の波を自分の中に持つことで、他の人の波長に「同調」することができるのだ。
一見なんの役に立つのかわからない勉強も、別にプロを目指すわけでもない習い事も、実は今役立っていないと思っている能力や特技も、また、自らが望んだわけではない苦労も、それらはすべて大切な「波」の一つだ。
学生のうちにやる勉強も部活もアルバイトもインターンも、経験が多く苦労もすれば共鳴力は高くなる。中途半端な関わりでは単なる時間つぶしにしかならず、役にも立たない。
だから苦労も無いようなパッケージツアーの卒業旅行に行くのは、あんまり意味は無いからおすすめしないのだ。逆にゲームだって真剣にやり込めば「得るもの」はある。
テクダイヤにスポーツ経験者、外国人社員、マニアが多いのは、そういう人たちに波長が合うからなのだろうと思う。