大皿中華料理理論

もう長年働いているのだがテクダイヤは私にとっては2社目。前の会社は残業代も出ないどころか昇給も無かったという、いわゆる「ブラック」だったから遅かれ早かれ辞めることになったのだろうが、それでも在職中はもっとやり方があったのではないか、と思うことはある。

当時私の担当は、商品を海外から輸入、検品、登録し、さらに営業部からの要求に基づき出庫するという一連の仕事をしていた。まだパソコンが普及していない時代だから、やたらと手入力や手作業、手書きが多い。こまごまとした作業の連続だが、忙しさが増すと私は更にMAXフルパワー発揮。

ええ、こちとらなんたってピアノ弾きですから、テンキー入力はお手の物。経理に居た女性ベテラン社員に「男の人でもこんなに速く打てるんだ」って言われるくらい超高速で入力作業をこなしてましたよ。大真面目に「自分の代わりには3人雇わないと無理だろう」ぐらいの自負はあった。仕事をこなせばこなすほど皆から頼られ仕事は舞い込んで忙しくなる。

そんなあるとき、あまりオフィスに現れない社長がふらっとやってきて私の仕事を見てこう言った。

「お前みたいな大卒の社員をこんな雑用やらせるために雇ったんじゃないぞ」

これにはさすがにカッチーンときた。じゃ誰だよ、こんな仕事を俺にさせてんのは!と言いたいところだがぐっとこらえた。しかし今になって考えるとそのときの社長の言葉はある意味正しい。

他の人に任せると遅いから自分でやる。人を雇うのお金がかかるから自分でやる。自分さえ我慢すればいい。自分さえ頑張ればいい。頑張っている自分って偉い。我慢している自分は美しい。それらはすべて自己満足だ。

一生懸命頑張っていれば誰かがきっと認めてくれる、拾い上げてくれるというのは、別の言い方をすれば他力本願。大変だねぇ、偉いねえというのは哀れみや称賛ではあるかもしれないが、一緒に是非やろうなんていう共感は呼ばない。あんな忙しい仕事手伝いたくない、一緒に働いても面白そうじゃない、とそういう感情を持たれるのが普通だ。

仕事というのは中華レストランの大皿料理みたいなもんで、一人で一皿ぜんぶ平らげようとしても限界はある。おまけに何品も食べることができない。

バラエティ豊かな仕事をたくさんこなそうとすれば、仲間に声掛けして大勢でやる方がいい。一人で大食い選手権みたいに汗かきながらひたすら大皿料理を胃袋に流し込むようなことをしても、また、不味そうにイヤイヤ食っていても人は寄ってこない。

仕事の枠を量的にも質的にも広げようとすれば、それはすなわち大勢の人を巻き込んでいくのが得策だ。私も最初の会社で人を寄せ付けないような孤軍奮闘の努力ではなく、もっと周囲を巻き込むような働きかけの努力ができていれば、という後悔の念は、随分と時間が経った現在でも時々ふっと沸き起こるのだ。