数年前の合同説明会でのはなし。学生は基本的に全員リクルートスーツ。男子も女子も紺か黒のスーツだからちょっと違う色のスーツだったりすると非常に目立つ。灰色とかストライプが入っているとたいていは大学院生だったり外国人留学生というパターンは多い。
その中に「彼」は居た。遠くからでも目立つその風貌から、てっきり会場関係者かテレビのレポーターかと思ってしまった。格好は簡単に言えば歩く絨毯だ。どこかのお金持ちの家のペルシャ絨毯を切り出して作ったとしか思えない柄のパンツとジャケット。おそらく既成品ではなくオーダーメイドだろう。これに比べれば映画サウンド・オブ・ミュージックでジュリー・アンドリュース演じる家庭教師マリアが派遣先のトラップ家の子供たちに作ったカーテン生地の服装がまだ可愛く見える。背中に羽根がついていたら間違いなく宝塚歌劇団だ。
話をしてみて判明したが、絨毯君はテレビのレポーターでも関係者でもなくれっきとした理系学生だった。自分の個性を大事にしているのだろう。気持ちはわからなくもない。しかしそのメンタリティーは中学生だ。
歌舞伎の人間国宝、15代目片岡仁左衛門は歌舞伎の個性について「たくさんの同じようなスーツを着ているサラリーマンの中でも、おしゃれで個性を発揮するようなもの」と例えていた。徹底的に型を学び、その型から自分なりの個性をどう打ち出していくか。そこに歌舞伎の面白さがある。同じ歌舞伎役者の故中村勘三郎は、こども電話相談室で有名な教育者である無着成恭の言葉を引用して常々こう話をしていた。「型があるから型破りになれる。型がないのは形無しって言うんだよ」
テクダイヤは個性的な人間を採用する。しかし常識はずれな人間が欲しいとは思わない。周囲がぎょっとするような威圧感のある服装は自己主張ではなく、単に品が無いだけ。ハッタリで脅かすのではなく、さり気なくすっと相手の心に入り込み、その心を掴んで離さない。そういう浸透性のある自己主張が理想的だ。