ファッション

私はどちらかというとオタク気質で、音楽や電気工作のような自分の気に入ったものにだけ時間もお金も集中して使い、興味の無いファッションや髪型などに長年、全く注力をしてこなかった。

そこに転機が訪れたのは、あるきっかけがあった。

テクダイヤではかつて工場が京都、埼玉、そして本社が東京と3つの事業所に分かれていたため、年に一度社員が一堂に会するために社員旅行を行っていた。今でこそカメラ付きのスマホが流行って写真を手軽に撮るような時代になったが、それ以前は写真を撮るのは何かイベントがある時と相場が決まっていた。だから社会人になってからの写真は圧倒的に総会の写真に偏っている。

その昔の写真を見ていてふと違和感を覚えた。おかしい。何かがおかしい。場所は北海道や九州、四国、静岡など様々なのだが、集合写真で地名の入った看板でもない限り場所も時間もさっぱり分からないのだ。

なんだろうこの違和感。おかしい。何かがおかしい。

写真を食い入る様に見つめて数分間。それは、見えていなかった心霊写真に突然気がついてしまうくらいの衝撃で私の目に飛び込んできた。自分が毎年ほぼ同じ服装をしていたことを…

寒くもないのにでかい革ブーツ。どうやってもビンテージには見えないよれよれジーンズ。サイズが妙に合わない原色のブカブカなポロシャツ。無造作に何も考えずに色違いで買ったため、ポロシャツの色だけは若干変化するものの、判を押したように毎年同じ格好をしている。ダサい。いや、もはやそれは怖い部類に入る。まずい。自分は人事担当者だ。合同説明会や社内説明会で、大勢の学生を前に話をするのに、このファッションセンスは致命的だ。

それ以来、私服にも会社に着ていく格好にも注意をするようになった。同時に他人がどういう格好をしているのかもよく見るようになった。自分がどう他人に見られるのかを気にすることと、他人がどういう格好をしているのか注意深く見ることと、ベクトルとしては変わりない。

確かに格好だけで仕事が出来るかどうかはわからないし、それけで人は判断できない。が、どうでもいいような格好している「自分に無頓着な人」は、他人の細かい配慮や気遣いに対し無頓着なのは間違いない。自分がそうだったのだからよくわかる。自分が知らず知らずに「私は無神経な人です」というサインを振りまいていたと思うとゾッとする。

高い服を買うこともない。ブランド品で身を包む必要もない。ただひたすら気だけ使う。それだけでちゃんとした格好になるのにやれている人は意外に少ない。