世間話のススメ

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フィリピンに赴任していたころ、地元の警察と国家捜査局が主催した誘拐対策セミナーに出席したことがある。その時の説明によれば、セブはフィリピン第二の都市であるにも関わらず誘拐とかテロのような大きな事件が起きないのは、そこそこ小さな島であることに付け加え、ギャングやマフィアの縄張りがしっかり出来ていて、よそ者がなかなか入りづらいのがその理由だと聞かされた。

確かに縄張りがしっかりしているような場所でよそ者がウロウロしていたり新たな商売を始めようとしていたらすぐにバレる。あまり褒められた治安維持の方法ではないが、それでも地域のヨコの連携がしっかりしているという面ではあなどれない。

日本でも隣近所のコミュニティーがしっかりしている場所は防犯や防災の点でも優れているという。積極的な取り組みを行っている自治体も少なくはない。隣人に関心を持たないことは地域として考えるとマイナス面は大きい。

この理屈を会社にあてはめてみるとどうなるか?会社を小さな「国」としてみなせば小さなコミュニティーとしてのチームや部門の問題を浮き彫りにする。

これまた時代をさかのぼって私が埼玉にあった工場の工場長を勤めていたときのこと。週替りで一人の社員が、朝礼でサイコロを振ってその面に書かれている話題で全員の前で話をするという取り組みをやっていた。話題は「最近ハマっているもの」「昨日見たテレビ番組」「今読んでる本(漫画)」「みんなにお勧めの美味しい店」など、仕事に関係しないものに限定していた。人前で話をするのが苦手な社員にしてみれば、何でこんな訳の分からないことで時間を費やすのか戸惑ったに違いない。

なぜこのような取り組みをしたのか?

弱い組織の構成員は、互いのことに感心を持たない。単なる個の集まりでは、チームとしての相乗効果は期待できない。我々はロボットではない。会社にただ黙って来て与えられた自分の仕事を黙々とやって、それが終わったらまた黙って帰る。そんな味気のない職場が、阿吽の呼吸で一丸となって問題解決なんかできるわけない。

ところが困ったことに、世間には苦手な人と無理をしてコミュニケーションを取ろうとはしない人が一定数居る。しかも悪いことに「私は大人ですから、嫌な人とでも仕事ならちゃんとやりますよ」という具合に「仕事は仕事、プライベートはプライベート」と割りきり、表面上はいさかいも不和もなく、最低限のコミュニケーションで平穏無事に仕事をこなしているように取り繕ってしまう人が居る。

この「最低限」というのが大問題だ。なぜなら仕事に必要なチームワークとしてのコミュニケーション・レベルを勝手に個人の価値観でラインを引きしてしまうからだ。

優秀な医者は患者の症状を検査の結果だけでなく、問診も含めて総合的に判断する。一見病気に関係無いようなことが病気に関係しているかもしれない。それを患者が一方的に「これは病気とは関係ない」と勝手な線引きをして医者とコミュニケーションをすれば、真の原因にたどり着くことができないだろう。

組織は様々な問題解決を皆で取り組んでいくところだ。なんでもないような事が重大な事故の端緒になっているかもしれない。またどうでもいいように思えることが仕事を好転させるヒントになっているかもしれない。それら小さな取っ掛かりが気兼ねなく共有できるチームが強いチームだ。

世間話をしない組織は危うい。