働くとは何か?

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先週、健康診断の後に立ち寄った歌舞伎町のラーメン屋での出来事。そこは歌舞伎町といっても入り口のライトなところではなく、いわゆるホストクラブやラブホが軒を連ねるディープな場所。必然的にお客の3割は仕事上がりのホストらしき人だった。

私の隣に座っていたのもそんな3人組で、徹夜明けだからかなりハイテンション。その真ん中に座っていた青年は、ペルシャ猫かよ、っていうくらいの真っ青なカラーコンタクトをした金髪くん。成りはまるでゴールデンボンバーの鬼龍院。聞こえてくる会話からすると、どうやらお店ではナンバーワンらしい。ところが、見た目と話し方はチャラいのに話の内容の方はいたってまじめ。

「2度目に来たお客さんが、どうして来てくれたのかその理由がわかってなきゃリピーターにはなってくれないよ」

さすが、稼ぐ奴は言うことが違う。

さて、先日愛知県の中学生がキャリア学習の一環としてテクダイヤを訪問した。そのときに出た質問「働くってなんですか」ということについて改めて触れてみたい。

働くとは端的に言えば「人の役に立つこと」に他ならない。そして「働くこと」と「稼ぐこと」は別の話である。ここを混同する人は多い。働くことは稼ぐこととはイコールではない。

働くという字は人という字と動くという字で構成されている。人が動く。それが働くということ。ただし自分が自分のために動くことは「自己努力」という表現をして、自分のために働くという言い方はしない。もし完全自給の生活をしていて、山に獲物を獲り行く、畑に収穫に行く、海で魚を獲るなど、それらを働くとは言わない。しかし獲ってきた物を他人に売ってお金を得る行為とすると、とたんにそれは労働となる。だから「働く」というのは「他人のために動くこと」を指す。

働くことが稼ぐことではない一番の証明は、働いてもその行為をお金に変換しない「働き」があることだ。主婦という職業はその典型だ。ボランティアもそう。逆に、稼ぐためには働かなくてもいい場合がある。資産があれば利子や株などの配当で稼ぐことは可能だ。

働くことと稼ぐことがイコールではないのだから、働きぶりをお金だけで評価することもできない。お金を持ってる人が優秀で、お金の無い人は無意味、なんていう暴論に賛成する人はおるまい。

これから社会人になろうとする学生に特に覚えておいてほしいことは、自分の仕事の成果をすべてお金に変換することはできないし、またしてはいけない、ということだ。これだけやったのだからこれだけもらおう、という発想は「稼ぐ=働く」の公式が成立している世界。この考え方であるかぎり、お金をもらう以上の働きをするという思想は後退し、お金を期待できないと思った仕事からは手を抜くという姿勢につながる。

どんな組織でも損得勘定ではなく、自分の責任感、相手の満足感、そういったお金とは一線を画した世界での完成度の追求が求められる。給料は雇用主との契約上の問題にすぎないし、また雇用主は給料以上のパフォーマンスを上げる人こそ厚遇する。つまり給料を追い求めても望む給料は得られないのだ。

報酬はお金だけで受け取るものではなく、他人からの感謝、自分の成長、またはそういった無形の報酬を得られるような機会として受け取り、それを肥やしにして仕事のパフォーマンスを上げ、周囲からの信頼感を上げるべきだ

他人の信頼感を得ることはお金を得ることよりも難しいし、またお金を得ることよりも重要なことなのだから。