人生を語れ

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「何がやりたいのか」ではなく「何に成りたいのか」。これは社長が採用だけでなく、若手社員にも問いかけている言葉だ。

 

「開発がやりたい」「営業がやりたい」という言葉は、解釈によっては「美味しいものが食べたい」「アメリカに行きたい」「オペラが見たい」と同様に、刹那の体験を望んでいるように聞こえる。単にやりたいというだけなら、アシスタントで開発をかじったらそれで満足なのか、カバン持ちで営業にくっついて行ったらそれでOKなのか、それが実現したらそれで終わりなのか、と皮肉を言いたくなる。

しかしこれが「開発者に成りたい」「営業マンに成りたい」という具合に、なりたい「者」で表現するならそこには、相当な覚悟とそこに至るまでの努力、そして得るべき結果をも感じさせる永続的な言葉になる。

例えて言うなら「結婚したい」と「お嫁さんに成りたい」の差、とでも表現すべきか。「△△△したい」は行動を指すが、「XXXに成りたい」は人生を意味する。

 

就活でも、入社後の若手新人社員にも問うのは、「どう生きるか」である。ワークライフバランスのところでも触れたが、それはつまり会社を利用してどうやってそれを実現していくかという長期のキャリアプランである。単に一過性で何かをするというだけでは、アルバイトと何ら変わらない。

どうなりたいのか、そしてそのために今何をいますべきなのか。この順番は鉄壁だ。何をしたいのかは、どうなりたいのかがわかっていなければ決まらないのだ。何に成りたいのかわからないのに漫然と何かしているのは、別名「暇つぶし」「時間つぶし」と言う。

 

ついでに言えば、人生とは「人と生きる」と書く。人生を語る時に欠かせないのは他人との関わり方だ。人は、他人が作ったシステムや製品抜きでは生きていけない。無人島でお金持ちになっても、他人という存在が居なければ衣食住どころか満足に火も起こせない。都会に住んでいても一緒に楽しんでくれる人が居なければスポーツも食事も味気ない。人生を豊かにするとは、どう他人と関わり、成長し、そして他人に貢献しつつ喜びを感じるのか。そこに尽きる。

さあ若者よ、人生を語れ。