お年玉

さて年が明けて大学4年生にとっては就職まであともう少し。今年もらうお年玉はおそらく最後のお年玉になるんじゃなかろうか。

私は浪人していたので同級生がとっくに就職して社会人になった後でも親戚からお年玉をもらったわけで、みっともないというか恥ずかしい感情の方が優っていたのを思い出す。なので、社会人になってから年明け、会社帰りに今は亡き伯母夫婦のところに寄ってささやかなお年玉を渡した時には自分として誇らしげに思ったものだったが、それよりも伯母がえらく喜んでくれたことの方が今でも強く印象に残っている。

社会人と学生の違いの一つは自立していることだが、その一つが経済的な自立だ。お年玉をもらう行為がみっともないと思わなければいつまで経っても子供のまま。しかしもうちょっと枠を広げれば学費を払ってもらうことも、家に住まわしてもらっていることも、生活費を出してもらっていることも全てお子ちゃま扱いでみっともないとも言える。

「神輿には担いでいるようで担がれている人と、本当に神輿の重量が肩にかかっている人と二通りある。君はうちの会社に入らなかったとしても神輿を担ぐ方の人になれ」というのは、テクダイヤの入社面接で私が先代社長から言われた言葉だ。社会人が揃っているはずの会社の中でさえも、実は一人前ではない人は居る。これはどんな会社でも変わらない。

人から与えられるよりも多く、他人に与えられるようになること。それがお金であれ時間であれ労力であれ、もしそこにもったいないなどという感情が芽生えるのであれば一生お子ちゃまメンタリティーのままだ。

学生諸君は来年はお年玉を配る方になれるよう頑張ってほしい。