ホセ・リサール

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ホセ・リサールとはフィリピンでは知らない人が居ないほどの英雄。小学校から大学に至るまで、必ず授業で勉強する、国が定めたNational Heroだ。

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ホセ・リサールは1861年の生まれ。日本の江戸末期。そして亡くなったのが1896年(明治29年)。享年35歳。

Wikiを見ても彼の職業は多岐にわたる。医師であり作家であり画家とまで書かれているが、生活の糧は医師として得ていたから医者というのが正式な職業であろう。しかし彼の本業は、簡単にいえば独立革命家だ。

彼は最終的にスペイン軍によって銃殺刑に処せられたが、その発端になったのは2冊の本を書いてフィリピンの独立の気運を高めたことだ。後に革命組織をつくるボニファシオも、初代大統領になるアギナルドも、すべてリサールの呼びかけで独立運動に加わっているのだ。

リサールは日本ともとても縁のある人で、ヨーロッパに行く途中に日本に立ち寄ったことがある。香港へ行く船をつかまえるため2日間の予定で降り立った日本に、予定を変更して一ヶ月半も滞在していた理由は、とある日本人女性と恋に落ち、日本文化に興味をもってあちこち旅行をしていたからだという。筆まめなリサールはたくさんの手紙を友人や家族に残しているが、この日本人女性のことは手紙では一切触れておらず、日記にだけ「あなたのように私を愛してくれた人は居ない」と書き残している。なんともロマンチックな話ではないか。

リサールは結局日本を離れるのだが、その香港からアメリカへ行く船の上でまったく英語ができない日本人と出会う。それが後に衆議院議員となる末広鉄腸。リサールは困っている末広鉄腸のために通訳をしてあげたという。それが縁で鉄腸もリサールの事をえらく気に入り、目的地だったアメリカ旅行の予定を変更しリサールにくっついてイギリスまで行ったのだった。

このエピソードは鉄腸が「親切なフィリピン人青年が船で助けてくれた」と書き残している。リサールはWikiによれば20もの言語を操ったと書かれているが、わずか一ヶ月半の日本滞在で通訳をやるほどの頭脳の持ち主だから、あながち大げさな表現ではないだろう。

続く