就活とは関係のないセブの話。
以前に紹介したサントニーニョ人形が祀られているサントニーニョ教会のすぐ脇、現在のセブ市の市庁舎のど真ん前にあるのが今回ご紹介するマゼラン・クロスだ。マゼランが上陸した時(16世紀始め)に建てられた由緒ある十字架である。
写真は英語版wikiから借りてきた。
さてこの十字架、削って飲むと霊験あらたかということで信者が削って持って行ってしまうので、ブリキのケースで覆っている。しかし防腐処理なんかしてないだろうから、おそらく中身は腐って空になっているのではないかと勝手に想像している。
それはともかく、サントニーニョ人形のことを調べていて、この十字架はマゼランの建てたオリジナルではない、と気づいた。
マゼランがラプラプ酋長に殺されたのち、その部下のうち30人ほどはキリスト教に改宗した「仲間」であるセブ王フマボンの裏切りにあって殺され、残った一行は逃げるようにしてセブを後にしている。さすがに一級工芸品だったサントニーニョ人形は大切に保管されていただろうが、十字架をそのままにしておくだろうか?のちのちセブを本格的に支配することになるレガスピがフィリピンにやってくるのはマゼランの死後40年経った後のこと。レガスピは教会を建てたが、それ以前の教会も神父も居ないセブにキリスト教が根付いていたとは考えにくい。
マゼランが建てたオリジナルの十字架は、現地調達した丸太を組み合わせて紐で縛っただけの簡易的なものだろう。きちんと製材した木材を地球の反対側からわざわざ運んでいたわけでもなければ、貴重な船の構造物を引き剥がして十字架にしたとも思えない。簡易的な丸太の十字架を、信者も居ないセブの人たちがマゼランからレガスピまでの空白の40年、大事にとっておいたと考えるのは論理的ではない。
と思っていたら、フィリピンでもそういう考えがあるそうで、この十字架はレガスピが建てたものとする説があるらしい。そうだとしても16世紀の後半だから歴史的なものとしては大変価値のあることだと思う。
しかしマゼランの名は世界一周で有名な冒険家。それに比べてレガスピの知名度は世界的にもイマイチだから、観光名所としてはマゼランの十字架じゃないとまずい、ということなのだろう。