昨年から通い始めた近所の美容室に、何気なく飾ってあったのがアメリカの画家、アンドリュー・ワイエスの絵だった。店主がもともと絵の道を目指していたらしく、お気に入りの絵を飾っていたのだ。なかなか気の利いたインテリアだと思う。髪の毛を切ってもらうならこういうセンスの良い人に切ってもらいたい。その絵を見ているうちに、私の大学時代に貧乏旅行で訪れたニューヨークのことを思い出した。
真夏のニューヨーク。気温は40度以上あったと思う。巨大なバックパックにアルト・サックスをぶら下げて、グランドセントラル駅から延々歩いてYMCA(宿泊施設)に泊まったときのことだ。
ここの共同シャワールームというのが、味も素っ気もない広いタイル貼りの部屋の壁に一定の間隔でシャワーノズルがついただけの、まるで強制収容所か牢屋のような場所。頭を洗っていると隣からコチラをジロジロ見るアジア系男性が一人いた。同性愛者が多いというのは後に聞いた話しだが、もしそれを知っていたらすぐに出ていっていた事だろう。唐突に「日本人ですか?」と日本語で話しをしてきたのでびっくり。
「ええ、そうですけど」と答えると「あぁ、良かった。ちょっと日本人と話しがしたかったんです」と言うので、シャワー室を出てからロビーで話しをした。
その人は山口の出身で、大学の人間関係に疲れ、親にも友人にも黙って知人もまったく居ないニューヨークに単身で渡り、1日25ドルしかもらえない皿洗いの仕事をしながら生活をしていた。違法労働だからめちゃくちゃ安い。アパートなんて借りられるわけが無いからYMCAのような安宿に泊まるしかない。それでも当時一泊するのに18ドルかかっていた。朝食はそのホテルの裏のメキシコ料理屋で1ドルのモーニングセット。夜は仕事場のレストランの残り物を食べるので浮くが、昼めし代とかタバコ代とかで一日貯金が3ドルしか貯金出来ない、という。
タバコなんてやめりゃいいのにとも思うのだが、「これをやめたら人間らしい事が一つも無い。自分が生きている実感をもつためにこれだけはやめたくないんだ」と言う。
そんな生活を渡米以来1ヶ月ほど続け、急に日本語を使いたくなって私に話しかけてきたらしい。名前も住所も聞いていないので、その人がどうなったかは知らない。しかしあのままじゃ浮浪者まっしぐらだろう。
もう随分と昔の出来事なのに、この名も知れぬ人のことは未だに忘れられない。あまりにも惨めで、希望も夢も無い、ただ一日3ドル貯めるだけの生活。「自分は絶対こうは成っちゃいけない」と強く思ったエピソードだ。
このニューヨーク滞在中、近代美術館で本物のワイエスの作品に初めて出会った。それがこの代表作「クリスティーナの世界」だ。実際のクリスティーナはポリオで身体に障害があったのだが、それにもめげずに何でも身の回りのことをしてたらしい。そういう強さにワイエスは惹かれ、絵の題材にしたのだという。実物の絵は、地面につく手の力強さが生き生きと表現されていて、それまで何度も美術の教科書の中で見た写真とは全くの別物だった。
自分の境遇から逃げる日本人大学生と、自分の境遇にめげず力強く生きるクリスティーナ。なんとも対照的な存在だ。