品質と品格

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テクダイヤのフィリピン工場にはたくさんのお客さんがやってくる。そのお客さんがすべての日程を終え帰国する、という時のお見送りにはひとつの作法がある。お客さんが車に乗り込み工場のゲートを出ても、その車が角を曲がって完全に見えなくなるまでずっと見送るのだ。

先代社長はよくこう話をしていた。「たとえ相手が振り返らなくとも視線というのは背中でなんとなく感じるものだ。それに、万が一振り返った時にずっと見ていてくれたら、嬉しいもんだろ。どうせ見ちゃいないからってとっとと建物に引っ込んでしまうような無粋なことはするな」

柏井壽著の「憂食論」を読んでいたら、これと全く同じことがあとがきに書かれていた。ちょっと長いけど引用する。

勘定も済ませ、店を出ると、既に勝手口から外に出ていた主人が、若女将と並んで待ち受けている。
車も通らぬ細い路地だが、店の前の道端に二人が並ぶ。
「本日はどうもありがとうございました」
深々と主人が頭を下げ、揃って見送ってくれる。
「こちらこそ、美味しい料理を堪能させていただき、ありがとうございました」
礼を返す。
名残を惜しみつつ、店を後にして、通りを北へ五〇歩ほども歩いて、ふと振り向くと、二人は同じ姿勢でじっとこちらを見送っている。慌ててこちらも頭を下げる。
やがて佛光寺通に出て、角を曲がるまで見送りは続く。
ようこそお越しいただきました。そんな謝意を表すお見送り。一瞬で終わったのでは余韻が残らない。姿が見えなくなるまで続いてこそ、見送られた客の心に残 る。<中略>これをして、おもてなしの心というのではないだろうか。もてなす側は、ずっと背中を見送り、心が届いただろうか、と思いを致す。

最近はちょっと高級な旅館などに行くとそういう見送りをするところも増えたが、工場であろうと料亭であろうと旅館であろうと、もてなす側ともてなされる側 の両者が居れば作法はそれほど変わらない。むしろ技術ばかりが取り沙汰され無粋になりがちな工場という場所は、ことさらもてなしの気持ちには留意すべきで あろう。

価格が安ければ、または納期さえきちんと守れれば挨拶なんてないがしろにしていい、というものではない。工場の品質はISOで守ることができるかもしれないが、品格はISOでは管理できないのだ。